2020年07月26日15:55
クラスター発生
カテゴリー
皆さんもご存知のとおり、昨日浜松で第二のクラスター感染が起きてしまいましたね、
やっと
それなりの日常が戻りつつあったのに…
今度は、油断しているとかなりヤバイ気がします
お葬式をお手伝いするにあたっては、
充分に注意しながら、喪家様にご負担やご迷惑を
かけない様最善の対策を整えて行きたいと思います。
ながちゃん
やっと
それなりの日常が戻りつつあったのに…
今度は、油断しているとかなりヤバイ気がします
お葬式をお手伝いするにあたっては、
充分に注意しながら、喪家様にご負担やご迷惑を
かけない様最善の対策を整えて行きたいと思います。
ながちゃん
2020年07月24日14:21
fire tv stick
カテゴリー
コロナウィルスの影響で外出できない日々が続いております。家にいることが多いので、映画などはゲオでレンタルしていました。しかし、子供もいてDVDを借りに行くのも大変だし外出できないしで、fire tv stickを購入しました。使ってみると、prime Videoの他にもHuluやらプライム ミュージックなり、色々なものが見れてとてもいいものでした。アナ雪2を見るためにディズニープラスに登録しました。ディズニープラスならアナ雪2を無料期間の1ヶ月間見れて、アナ雪のオリジナルのショートストーリーも2作見れるとのこと。何より『モアナと伝説の海』が面白かったです。アナ雪2は早送りして終わりました。他のアプリでも『見えない目撃者』など無料で見れるし、曲も聴けるし重宝してます。
社員A
社員A
2020年07月20日16:20
いらっしゃい
カテゴリー
今日は出勤が早番のじぇいが、式場の正面玄関前の清掃をしていると
クワガタを発見。
式場の周りに植木屋さんが沢山ある浜北の式場は、毎年カブトムシやクワガタが式場の照明に集まってよく見かけるのですが、今年は雨が多いせいかじぇいが見つけたのは今年が初めてでした。
初盆飾りも今年は雨が多く苦労しましたが、早く梅雨明けして夏らしい天候になってほしいものです。
クワガタを発見。
式場の周りに植木屋さんが沢山ある浜北の式場は、毎年カブトムシやクワガタが式場の照明に集まってよく見かけるのですが、今年は雨が多いせいかじぇいが見つけたのは今年が初めてでした。
初盆飾りも今年は雨が多く苦労しましたが、早く梅雨明けして夏らしい天候になってほしいものです。
2020年07月18日21:23
遠州大念仏とコロナ
カテゴリー │スタッフトーク
久しぶりのShinta14です。
今年のお盆、なんとか無事終了しました。
が!
コロナウイルスの影響がここまでとは…というお盆でした。
初盆のお家の方は色々と気遣い、苦労があったと思います。
私個人的には、「遠州大念仏」が今年は出来なかったことが悔やまれます。
遠州大念仏の起源は徳川家康75年の生涯の中で、唯一の負け戦として史上有名な「三方原合戦」にさかのぼります。
三方原の合戦
元亀3年(1572年)、京を目指す武田信玄の軍勢約25,000人と、織田信長からの援軍約3,000人を加えたおよそ11,000人の徳川家康の軍勢が、三方原の台地で、両軍の死力を尽くした攻防戦を繰り広げました。一進一退の攻防戦、しかし、武田勝頼隊が押し出してくると、徳川勢はついに崩れ始めたため、一団となって浜松城に逃げ帰りました。それでも、武田勢の追撃の手は緩むことはありませんでした。時に家康弱冠31歳。百戦錬磨の武田信玄を相手に刀折れ矢尽きた戦いでした。
犀ヶ崖の戦い
浜松城に逃げ込んだ家康は、城の城門を全部開かせ、かがり火をたいて城を照らし出すよう命じたのです。追撃してきた武田勢はこの様子をみて、警戒し城内に攻め込むのをやめ、犀ヶ崖付近で一部の兵士を集めて夜営をすることになりました。同夜、一矢報いようと考えた徳川軍は反撃に転じ、犀ヶ崖付近に野営中の武田軍を夜襲しました。犀ヶ崖に武田軍を追い落とそうと、崖に白い布の橋を張り、丈夫 な橋が架かっているように見せかけたのです。更に油断させるために浜松城の近くにある普済寺に自ら火を放って、浜松城炎上と見せかけておいて、武田の陣営 の背後から鉄砲を撃ち込み、織田信長の援軍が来たと思いこませ、武田軍を谷底へ追い落とし多数の死傷者を出し損害を与えました。
遠州大念仏は、この三方ヶ原の戦い、および犀ヶ崖の戦いで犠牲となった人を弔うために始まり、この戦いで命を落とした武田勢兵士の鎮魂のために迎え入られた宗円僧侶の下、行われるようになった行事なのです。
以上 IN HAMAMATSU.COM より抜粋
毎年減少傾向にあった念仏が今年の自粛、中止によりさらに加速されると思われます。
「無形民族文化財」という文化が廃れていくことはなんとしても阻止したいところ。
初盆の祭壇、お飾り、供物なども縮小、質素化するからそれに比例してだと思いますが、もう一度、その意味、価値を考え原点に帰って欲しいと切に願います。
かの家康もピンチを凌ぎ反撃に転じたように、ここから何か出来ないものか!
とトリスでハイボールを飲みながら考える、そんなお盆でした。
(もう無いけど…飲み過ぎ〜)
今年のお盆、なんとか無事終了しました。
が!
コロナウイルスの影響がここまでとは…というお盆でした。
初盆のお家の方は色々と気遣い、苦労があったと思います。
私個人的には、「遠州大念仏」が今年は出来なかったことが悔やまれます。
遠州大念仏の起源は徳川家康75年の生涯の中で、唯一の負け戦として史上有名な「三方原合戦」にさかのぼります。
三方原の合戦
元亀3年(1572年)、京を目指す武田信玄の軍勢約25,000人と、織田信長からの援軍約3,000人を加えたおよそ11,000人の徳川家康の軍勢が、三方原の台地で、両軍の死力を尽くした攻防戦を繰り広げました。一進一退の攻防戦、しかし、武田勝頼隊が押し出してくると、徳川勢はついに崩れ始めたため、一団となって浜松城に逃げ帰りました。それでも、武田勢の追撃の手は緩むことはありませんでした。時に家康弱冠31歳。百戦錬磨の武田信玄を相手に刀折れ矢尽きた戦いでした。
犀ヶ崖の戦い
浜松城に逃げ込んだ家康は、城の城門を全部開かせ、かがり火をたいて城を照らし出すよう命じたのです。追撃してきた武田勢はこの様子をみて、警戒し城内に攻め込むのをやめ、犀ヶ崖付近で一部の兵士を集めて夜営をすることになりました。同夜、一矢報いようと考えた徳川軍は反撃に転じ、犀ヶ崖付近に野営中の武田軍を夜襲しました。犀ヶ崖に武田軍を追い落とそうと、崖に白い布の橋を張り、丈夫 な橋が架かっているように見せかけたのです。更に油断させるために浜松城の近くにある普済寺に自ら火を放って、浜松城炎上と見せかけておいて、武田の陣営 の背後から鉄砲を撃ち込み、織田信長の援軍が来たと思いこませ、武田軍を谷底へ追い落とし多数の死傷者を出し損害を与えました。
遠州大念仏は、この三方ヶ原の戦い、および犀ヶ崖の戦いで犠牲となった人を弔うために始まり、この戦いで命を落とした武田勢兵士の鎮魂のために迎え入られた宗円僧侶の下、行われるようになった行事なのです。
以上 IN HAMAMATSU.COM より抜粋
毎年減少傾向にあった念仏が今年の自粛、中止によりさらに加速されると思われます。
「無形民族文化財」という文化が廃れていくことはなんとしても阻止したいところ。
初盆の祭壇、お飾り、供物なども縮小、質素化するからそれに比例してだと思いますが、もう一度、その意味、価値を考え原点に帰って欲しいと切に願います。
かの家康もピンチを凌ぎ反撃に転じたように、ここから何か出来ないものか!
とトリスでハイボールを飲みながら考える、そんなお盆でした。
(もう無いけど…飲み過ぎ〜)